木賞作家の坂東眞砂子さんが、日本経済新聞に寄稿したエッセーで告白した
「子猫殺し」。その内容をめぐって余波が続いている。
タヒチを管轄するポリネシア政府は、坂東さんの行為を動物虐待にあたると、裁判所に告発する構えを見せている。
20日から26日は、動物愛護週間。坂東さんが、真意を語りたいと毎日新聞に寄稿した。


私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を
飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界を
なんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を
枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢さからだ。
さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を
愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。
それはつらくてたまらない。
しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、
えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。
「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく
生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。
しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを
断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。
もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如している
からと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と
絶叫するだろう。


もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという
考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を
行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。
他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、
不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れ
した顔をしている人に私は疑問を呈する。
エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する
姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの
告発なら、言論弾圧になる。
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